恵みの神
神は確約されない。
空がいつも青く、年中、道に花が咲いているとは。
神は約束されていない、
晴天の日だけで、雨が降らないことを。
喜びだけで、悲しみはなく、
平安のみで傷つき痛むことがないとは。
神は約束された、
日ごとに必要な力を、労し疲れた者には休息を。
道を歩む者に光を。
すべての試練に恵みを、上よりの助けを、
決して変わらぬ哀れみを、
たえることなき永遠の愛を。
アニー・J・フリント
神は確約されない。
空がいつも青く、年中、道に花が咲いているとは。
神は約束されていない、
晴天の日だけで、雨が降らないことを。
喜びだけで、悲しみはなく、
平安のみで傷つき痛むことがないとは。
神は約束された、
日ごとに必要な力を、労し疲れた者には休息を。
道を歩む者に光を。
すべての試練に恵みを、上よりの助けを、
決して変わらぬ哀れみを、
たえることなき永遠の愛を。
アニー・J・フリント
人生の歩みに溺れて、日々を繰り返し、
上よりの呼びかけに応答しないでいると、
天国の高貴なかおりに
ふれないままで終わってしまいます。
しかし、全能者なる主を見上げる者には、
翼をはり広げる力が与えられ、
退屈な旅をやめ、
いと高きお方の
栄光に満ちた
天国へ上ることができます。
『いまにも折れそうな
か細い小枝に鳥がとまっている
しかし、
鳥は、いくら風に吹かれてゆらいでも
いささかも気にはしない。
喜々とした姿態で、陽気にさえずる
何も恐れない。
鳥は翼を持っているから-』
時間をかけて
聖書に記されている約束を調べることができるなら、
すべての約束はクリスチャンのだれかに、
特別なメッセージをもたらしたことを
疑う余地のないことがわかります。
そして、聖書全巻にわたって、
その欄外にキリスト者の経験したことが証として記され、
約束は文字どおり実現されたことを知ります。
聖書の約束は、ことごとく私のもの
ひもとくいずれの章、読むどの節、どの行も。
…尊く、大いなる約束が
私たちに与えられている。
「神の約束は確かではあるが、
そのすべてが
三ヶ月の間に実現するものではない」
A・J・ゴードン
“愛する主のみ姿に似た者にしてください”と
祈り願うなら
主は、その願いを盾にとり
心の深みまで徹底するよう試みたもう
“主よ、柔和ならしめ、深き謙遜を”と
祈れば
かつて労苦を共にした仲間たちが
同情に満ちた笑みをもって近寄ってくるまで
祈り続けることを求めたもう
“救い主にかたく寄り頼ませてください”
この祈りに、主は
この世の友が慰めを与えもせず
祈るよりほかに、なにもできないと悟るまで
この人間的なものを取り除きたもう
“主よ、あなたに似た者にしてください”
そう祈るなら、
熱心に祈る祈りがこたえられるために
型のないところから、ひとつの像を彫り出す
彫刻家の産みの苦しみのように
神が与えた重荷を負いなさい。
F・B・マイヤー
エーリヒ・ケストナーと言えば「エーミールと探偵たち」や「飛ぶ教室」を思い出される方がいらっしゃるかもしれませんが、それに劣らず子供たちに読まれてきた作品に、この「ふたりのロッテ」があります。
この作品は今までに数回映画化されてきており、児童文学としてはかなり恵まれた作品であると思います。
また作品の中に離婚という大人の問題を持ち込んだということで、発表当初よりかなりの議論を呼び起こしました。
しかし、その現実的な世界での子供たちの活躍を通して、子供たちの内にある可能性を引き出そうとしたところに、今までの写実主義的な作品とはまた違った部分を感じさせられます。
ある夏休みのスイスでの林間学校で、二人の女の子が出会いました。
驚いたことにその二人は、髪の毛を除けば、あとはまったく見分けがつかないほど、似ていたのです。
実のところ、二人はふたごの姉妹だったのですが、彼女たちがまだ赤ん坊の時に、両親が離婚したため別々に引き取られていたのでした。
二人はお互いの生い立ちについて話し合っていくうちに、そのことに気付き、なんとかして両親を仲直りさせようとします。
そしてそのために、二人だけの秘密の計画を立てます。
二人がお互い入れ代わって、一人は知らない父のもとに、もう一人は母のもとへと帰っていったのでした。
もちろん、性格や生活環境がまったく違うわけですから、それこそ大変なのですが、二人は両親を仲直りさせるために、どんな労苦もいとわず、一生懸命にがんばり通したのでした。
やがて、二人が入れ代わっていることが両親にも分かり、びっくりさせられますが、子供達の素晴らしい愛情を通して二人は仲直りし、もう一度一緒に暮らす決心をします。
一度離ればなれになった二人をもとに戻すということは、とうてい考えられないことですが、その不可能に近いことを可能にしたのは、実に子供たちの愛と犠牲だけがなし得た事なのでした。
聖書は、神様から遠く離れてしまった私たちの罪をゆるし、神様との正常な関係に引き戻すため、神のひとり子、イエス・キリストが人として来られたことを語っています。
そこには、イエスさまの大いなる愛と犠牲が満ち溢れているのです。
「ふたりのロッテ」 ケストナー著
(岩波書店)
「歴史秘話ヒストリア」の案内役をはじめ、NHKの女性看板アナウンサーとして活躍しておられる 渡邊あゆみ(NHKチーフ・アナウンサー)が、約20年前に「いのちのことば社」のインタビューに応えられた際の談です。彼女の父親はキリスト教会の牧師でした。
『受験 先輩から・・・・あれこれ』
「一日十時間」が目標でした。短い時間でサッとできるタイプじゃなくて、片っぱしからやって覚えていかないとダメ。単純に、そのぐらい勉強すればいいんじゃないかと思って、夜中は二時、三時まで。生活のリズムとかペース配分なんかほとんど無視。ただ一週間の予定だけは毎週立てていました。一年後に○○大学に入るっていうより、一日ごとの目標を達成するという小さな満足を持続させて行けばいいと私は思うのです。
夏休みだったか、成績が上がらない時期もありました。そうは言ってもやめちゃうわけにも行かないし。百パーセント進学校であっても学校行事も忙しいし、悩んでいては時間がもったいない、遅れるだけだから。つらかったから一年目に死んでも受かろうと思ってひたすらやりました。
親が甘くて「お願い大学行って」っていくらでもお金出してくれて、がんばって入れなかったら浪人ならしかたないけれど、遊んでいて「浪人当然だよ」って人間は私、殴りたい。
父が牧師といえばだいたい経済状態が想像できるかしら。勉強だけしていればよかったのはいいけれど、劣悪な住宅環境でまともな机すらなくて、工夫はしてみたけれど、暗かった。ですから二年目なんてごめんでした。
でもそこで一生懸命やっていて、成せば成るというのが一つ身についたかしら。すべて与えられて遊んでる人とは違うという自負心はありました。とにかく、どんなこともがんばれば道は必ず開けるような気はします。
日曜日の午後にも自宅で集会があってその間も勉強できなかったんです。だからといって午後も自分の教会で奉仕では疲れきって、勉強どころではなかったでしょうね。日頃の睡眠不足を補うように休んでいました。
クリスチャンにはこの世の中でも輝いていてほしいと思います。学生なら受験も、努力しましたと自他共に認められるぐらい努力する。
クリスチャンがいろいろなところで活躍することが、一番いい証しの方法だと思うの。社会人として、主婦として、親として、何でもいい、受験生なら自分の実力で最高の学校に入ること。政治や企業を動かすのがクリスチャンでなければキリスト教は広まらないでしょう。それどころか靖国神社を公式参拝する国になるだろうし、軍国主義化していくかもしれないし、それを止めることができるのは、やはりあらゆる層にクリスチャンがいて、各界に一流になって出ることだと考えています。
一番苦しい時ですけれど、教会生活と両立させながらがんばってもらいたい。私も苦しかった、ひたすら。青春はもう一度あってもいいけど、受験は二度とイヤです。(談)
NHKアナウンサー 渡邊あゆみ
(1960年生まれ 東京大学教養学部卒業)
牧師の父をもつ、ある婦人が記しました。
『七度のガンの転移、そして脳腫瘍を患ってから、父は徐々に体が動かなくなり、ついには寝たきり状態となった。
思考がまとまらなくなり、家族の名前、自分の名前さえ言えなくなってしまった。
介護というと、食事をあげたり、身体を拭いたりなど、生活ができるようにするものと思いがちだが、むしろ大変だったのは、精神的な励ましだった。
いつも神様により頼み、天真爛漫だった父が、脳を腫瘍に侵され、弱気になっていく姿はとてもつらいものであった。
ある日のことだった。母がなにげなくかけた古いカセットから流れる
「いつくしみ深き友なるイエスは…」
にあわせ、自分の名前さえ言えなくなっていた父が口ずさみ始めた。
「われらの弱きを知りて憐れむ」
はっとした。
何か月も、どうせわからないだろうと、みことばも賛美も聞かせてあげることもなかったのである。
しかし、このことをきっかけに、父は聖書を読んでほしいと訴えかけてくるようになった。
聞きながら、「アーメン」とか「イエス様、助けてください」とよくうわ言のように言っていた。
つらさの中で飢え渇き、みことばを求め、そこから安らぎを得ている父の姿を見て、神様の深い愛はどんな状況にあっても力を与えるのだと実感した』
理屈でなく、極限の状態にあって、本当に人間を心底から力づけることができるものは何なのか?
それは唯一、生けるまことの神様以外ありえないことを語りかけているのではないでしょうか。
「もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、
私は自分の悩みの中で滅んでいたでしょう。
私はあなたの戒めを決して忘れません。
それによって、あなたは私を生かしてくださった
からです」 詩篇119篇92~93節
聖書本文は新改訳聖書第三版(©新改訳聖書刊行会)
教育講演会 『親としてできること、しなければならないこと』
<2009年2月22日(日)>
不登校、いじめ、非行、引きこもり、虐待
子供が被害にあう事件・・・子供や家庭を取り巻く環境は悪化の一途をたどるばかりです。
そんな中、親としてできること、しなければならないこととは何でしょうか。
お父さん、お母さん、その他子育てに関心のある皆さん、教育問題についてご一緒に考えてみませんか。
今回は近大付属高校教員の森田氏をお招きして、今の教育にどうしても必要な大切なメッセージを語っていただきました。
講師:森田哲(近大付属高校教頭補佐)
1959年生まれ。1982年大阪大学卒業。
近大付属高校の理科(物理)教諭として勤務。
2007年より教頭補佐。現在に至る。
家庭では二人の娘(中2・小4)の父。
現在、布施キリスト集会に集い、教育現場での体験に基づいた話題も交え、喜びのメッセージを語っている。
※MP3ファイルは、30分ずつに2分割しています。
2009_02_22_bro__101.mp3をダウンロード 2009_02_22_bro__102.mp3をダウンロード
オリックスの清原和博選手。
無冠の帝王、番長などと呼ばれましたが、今年10月1日に引退試合をおこない、23年間の現役生活にピリオドを打ちました。
彼の引退後会見で一つの言葉に大変感動させられました。
「仰木監督が大阪・オリックスへ誘ってくれなければ、僕の野球人生、
恨みしか残らなかった。(仰木監督から)感謝することを教わった」
巨人軍から戦力外通告を受けた2005年のシーズン終了後。
当時オリックス・バファローズのシニアアドバイザーであった仰木彬氏が「大阪に帰って来い。お前の最後の花道は俺が作ってやる」とオファーし、清原選手のオリックス入団が決まりました。その仰木氏は、直後に肺癌による呼吸不全で死去し、清原選手のユニホーム姿を見ることはありませんでした。
悔しさの涙で始まったプロ野球人生を、西武、巨人、仰木元監督、オリックス、すべての野球ファンへの感謝の言葉で締めくくった姿に、心からの感動を覚えました。
ひとりの人との出会いが、こんなにも人を変えてしまうのですね。
人生の大きな分岐点を「心からの感謝」のことばをもって言い表すことができるのは幸いです。
私たちの人生を振り返ってみると、順風満帆にすべてのことが運ぶことはありません。かえって、そうではない事の方が多いものです。どうしてでしょうか?
それは、私たちの心の奥底にひそむ、“罪”という死に至る病を私たちが抱えているためなのです。その病はかつて不治の病でした。しかし、神のひとり子、イエス・キリストの十字架の死によって、すべてが解決したのです。イエス・キリストは私たちに対して、「わたしについて来なさい」と言われます。ひとりの人間との出会いが人生を変えるのであるとすれば、まして、私たちに命を与えられたまことの神との出会いは、どんなにか私たちを根本的に変えてしまうことでしょうか。
神様はあなたの人生に、「ありがとう」の偽りない心からの感謝の言葉を備えてくださるのです。
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです』
マタイの福音書11章28~30節 
ことの始まりは「たまご1個」でした。
むかしから、仲良く隣りあい、互いに助けあって暮らしていた
農家の家族。
ある日、ガブリーロとイワンの家が、たまご1個をめぐってけんかになった。
けんかはだんだんとエスカレートし、ついには大きな事件に‥‥。
村の半分が燃えてしまったのです。
イワンの長男の嫁は働きものでした。
嫁がとくにかわいがっていためんどりが、ある日たまごを産みませんでした。
「姉さんのとりは、となりの庭でたまごを産んでから、こっちにもどってきた」という弟の言葉から端を発して、次々に事件は発生していきます。
どちらが悪い?どちらも悪い?
結局、お互いに「自分の方が正しい」という気持が相手を傷つけ、心の溝を深くしていきます。
双方の怒りはどんどんと大きく膨れ上がり、最後にガブリーロが隣家に放火をしてしまい、なんと村の半分が火事で焼けてしまったのです。
イワンの父親が忠告します。
「おまえらはくだらねぇことで、大さわぎをしているぞ!」
しかし怒りと憎しみでいっぱいのイワンの心には通じませんでした。
お互いがあれこれと、あることないこと訴えあって裁判が続き、お互いの生活はメチャクチャに破壊されてしまいます。
やがて、それは大人だけに留まらず、子どもたちまでが憎しみあうのです。
憎しみが膨れ上がり誰にもとめられなくなってきたころ、イワンの心にようやく父親の言葉が届くようになります。
「けんかなんてものは片方だけが悪くて起きるものじゃねえ」
イエス・キリストのことばに「あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい」とあります。
「叩きたいだけ、叩かせたら、そのうち相手の良心がとがめてくる」イワンの父の言葉です。
火事の後に父親は言います。
「今度のことはいったいだれの罪だね」
イワンは相手を責める事をやめ、
「おれの罪だよ!」と泣き崩れたのでした。
『人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます』
ヤコブの手紙1章14~15節
(新改訳聖書©新改訳聖書刊行会)